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どうでもいいこととかどうでもよくないこととか
介護最終日

2008-11-21 Fri 20:05
やっと最終日でした。
んー長かった!
大変じゃないけど
でも時期的に悪くて
実習(体験)生が一人でやることもその分多くて
面倒だったのよね。

発表をやるのも最後でした。
何をするのか悩んだけど
自分が大学でどんなことを勉強していて
それが学問としてどういう分類になっているのか
またどうしてそんなことを勉強しようとしたのか
などなどちょっとまじめな話をしました。

退屈な話かもしれないけど
気持ちは伝わったような気がします。
利用者の方々はみなさん真剣に聞いてくださいました。

発表というのは施設の利用時間の最後のほうにやるのですが
その発表が終わったあとにボランティアさんが話しかけに来てくれました。

そのボランティアの方はもともと施設の利用者だった方で
いろいろな事情があって施設をりようすることができなくなってしまった方なのですが
今も癌と闘っている方です。



その方が、「大学で勉強しているからこそ、こういうところにきてもいろいろと学びとれるのね。何も勉強していない状態だったらきっとただぼーっとして終わってしまうからね。」といってくださり、歴史を勉強しているあなたなら、ということでご自身の戦争の体験についてお話してくださいました。





学校をでたあと、ほかの女学生はみんな銀行に勤めていたけれども、自分はそういったことに興味がなく、たまに大学の研究室で実験(食物をいかに腐らせないでおけるか)の手伝いをしていた。
彼女には4人の男兄弟がいて、だからこそ自分は母と二人で家をまもっていればいいと思い、家にこもって裁縫をしていた。

しかしある日突然家に憲兵が来て、北京にいくように言われた。
憲兵の命令に逆らうことはできず、大きなリュックサックにおにぎりを五ついれて家をでた。
余計なものはもっていけないし、あまりたくさんおにぎりを持っても盗まれてしまうだろうから。

品川から広島を経由して朝鮮まで船で渡りそこから北京へ渡る。
日本人の女の子なんて自分ひとりしかいない。
自分はそれまで家にこもっていただけなのに。まだ18なのに。
心細くてたまらないなか、北京についてから言い渡されたのは
「前線にどれだけ武器が残っているかをみてこい。もしものことがあれば自害しろ」という命令だった。
拳銃一丁を胸に抱いて、日本語を流暢に話す支那人のこぐリヤカーにのって
もう生きて母に会うことはないだろうと思った。
あれだけ怖い思いをしたことはない。

彼女は北京で終戦をむかえることになった。
軍の司令部にいた彼女はすぐに日本に帰ることができたそうだ。

その帰り道、広島が白い階段のようになっているのをみた。
アメリカという国はとても上手に爆弾を落とすのだなと思った彼女が、「原爆」というものを知ったのは
戦後何年もした後だったそうだ。


日本に帰国してまもなく
兄がビルマで亡くなったという知らせを聞いた。
餓死だったそうだ。
かわいそうに、お腹をすかせてすかせて、心細い思いをして異国で死んでいくなんて。

そのほかの兄弟はみんな無事だったことが奇跡だったんだ。




戦争は嫌だ。
戦争はいけない。

そういう話を淡々と話してくださいました。
胸がいっぱいになって、
なんだか涙がでてしまいそうでした。
18歳くらいの女の子が拳銃をもって知らない土地をリヤカーに揺られているのなんて
想像できません。
もしものことがあったら自害しろといわれて「はい」なんて、私なら言えない。






「どうして戦争なんてするんでしょう」という私の問いかけに、彼女は
「しょうがないよ。戦争しなけりゃ日本はアメリカの言いなりになるしかなかった。ましてや日本は資源に恵まれない。ほかの国から奪わなければいけなかった。その代わり頭がよくて技術があったのだから武器は作れた。だから戦争をしたんだよ。」と答えてくれました。
これだけしっかりした答えがかえってくるとは、正直思っていませんでした。

話を聞いている限り、北京に連れて行かれたのも彼女だけということでしたし
かなりのインテリなのでしょう。
5日間ほとんど何も話していなかっただけに驚きました。


アメリカは嫌いだ。
でも中国はそれほど嫌いではない。という風にもいっていました。

「クーニャン」というのをはじめて聞いたのですが、支那人の女性をさす言葉だそうで
北京にいる間そのクーニャンがとてもよくしてくれたのだそうです。

日本に逃げるときにも髪を切って変装をさせてくれて
「これで逃げなさい。無事に日本に帰るんだよ。きっと無事に帰るんだよ。」
と言って送ってくれた。
靴も服も
すべて自分のために作ってくれた。

こういう話を聞いてクーニャンの強さに驚き
またクーニャンという言葉をしらない自分を恥ずかしく思いました。
自分の国を攻撃している国の人に親切にするというのはなかなかに難しいことでしょうに。






本当に貴重なお話を聞かせてもらいました。
何よりも私に「あなたならわかると思う」と言って話してくれたことがうれしかった。

私の発表でいいたかったことが少なくとも彼女には伝わったのでしょう。
私の発表では
古代史と近代史と、時代が違うとはいえ、
歴史の主人公は
一部の支配者ではなく
たくさんの民衆、一般人だということ
普通の生活のなかの歴史をよみとることが重要なのだということ。
そういったことを中心に話したので
きっと何かしらは伝わったのだと思います。




最後の最後に本当にいい体験ができてよかった。
長くて大変だったけど、いってよかったです。















体験のあとは三田祭によってちょろっと片付け手伝って
そんで久しぶりに三田線のって帰りました。
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